■08月06日(金)
世の中には、あらゆる事象に対して童貞・非童貞な事がある。僕は大学に通った事がないので大学童貞だ。塾に通っていた事もないので塾童貞だ。女性も同様に、大学に通った事のない人は大学処女で、塾に通ったことがない人は塾処女なのだ。こういう風に分類していけば、世の中には単に性的な事に対しての童貞・非童貞だけでなく、あらゆる事に対して当てはまることがあるのだ。
とある女性が高校を卒業して、大学に入るために受験を受けたとしよう。性的なことに例えると、「男をナンパした」ということになるだろうか。大学とセックスしたいから受験したいのかは人によるかもしれないけど、大学に受かり、入学初日に門をくぐった瞬間に、これからはじまる未来という名の肉棒が今まで開かれなかった大学用ま○こ(所在は心のどこか)の処女膜を貫通させ、涙に似た血を流すのである。心の中の期待と不安が痛みとなり、心の中にある大学用ま○こに襲いかかる。それでも女性は大学を受け入れる。
こう想像すると、大学の入学式なんかに入ると大学処女だった人がみんな処女膜を破られるわけだから是非とも入学式に参加してみたいなあと思ってしまう。こうなると入園式でもなんでもかんでもいえてしまうが、そのたびに僕はひとりだけ股間を大きく(現実は小さく)ふくらませていることだろう。
でも入学式なんかには参加できない。外から見る事は一応できるが、どうせなら門の中から処女膜貫通の瞬間を眺めてみたい。そのためには子どもを作るか教師になるしかない。でも子どもを作るにしてもそんな人はいないし、結婚できる気がしない。教師になるにもお金が全く足りない。それに、僕はそういう大学処女が大学非処女になる瞬間よりも働いた事のない人が労働非処女になる瞬間の方が観てみたい。
そのためには経営者になって、労働経験のない可愛い労働処女を雇い、過去にいくら交際経験があろうと突き破ることがなかった労働処女の業務用ま○こ(所在は心のどこか)を貫通させたい。本人は期待と不安を感じているだけだろうけども、僕には喘ぎと痛みしか伝わってこず、それにただただ興奮し、股間を大きく(現実は小さく)ふくらませていることだろう。